誕生日の過ごし方…
9月は、わたしの誕生月でした。
誕生日というものにあまりこだわりのないわたしは、毎年この日は意識的ではなく、なんとなく”任せる日”としているのです。
時に、友人たちや親せきたちが誕生会と祝ってくれた年あれば、シェア会やセッションの日となった年もあれば、友人の親の葬儀のお手伝いに注いだ年もあれば、そして(唐突ですが(;^_^A)兄嫁から頼まれて兄の浮気相手に会いに行く流れとなった年もありました。笑
通常も同じような日を過ごしてはいるのですが、誕生日ならではの”任せた日”は、わたしにとって印象深く面白みとして刻まれていて、何事も成就するに決まっているという何か根拠のない自信もあったりして… まあ、毎年、最善な誕生日を迎えているのです。
で、今年は.??…..わたしの誕生日であることをすっかり忘れている兄からの声掛けで、母のところに面会、そしてランチをする誘いがありました。
このところ、あちらこちらで、母親のエピソードを話させてもらっているわたしは、ここにきて、毎朝、父と母に、心で「生んでくれてありがとう」と手を合わせているのですが、これをデモンストレーションさせていただく時がきたのだな★ と瞬時に思うわけでした。
出かけて行きました……母は認知機能が弱ってきているのですが、その母を前にして一番かけたかった大切な言葉を、”心で”かけたのでした……ホッとしました。安心が広がりました。
…後付けをさせていただくと、この大切な言葉を、わたしは絶対にかけてなるものか!!!と、ある意味、間違った励みに生きてきました。なので、手を合わせ毎日心で述べるなんてことすらあり得ない数十年だったわけです。が、この頑なな心を解くきっかけとなったのは、ここまで、ご一緒してくださって、心からのシェアをしてくださった皆さんの後押しであることは間違いないのです。
葛藤があるからこそ、真剣に、ゆるしを受け入れたいという皆さんのお心に触れさせていただくことで、わたしも、おとしまえをつけなきゃ!と前進させてくれたわけでした。
母と別れた後、兄に、今日はわたしの誕生日であること、そして、だから、母を前に決着をつけに来たこと=おとしまえをつけに来たことを話しました。
笑っていましたが、どうやら、兄も母に対して、おとしまえをつけなきゃならない心当たりがあるように、わたしには感じたのでした。笑