叔母こそ!
いよいよ梅雨の時期の到来ですが、お元気でお過ごしですか。
わたしは数日前に駆け込むかのように新緑の京都旅をしてきました。80歳を過ぎた叔母と二人で。叔母とは、正確には夫の叔母です。 かつて夫の父と母のお世話介護の時代に、わたしは、まだ子どもが小さかったので相応のサポートをしてくれた恩人です。
新緑の京都の目的は、叔母が切望する広隆寺の弥勒菩薩、そしてわたしが切望する龍安寺のつくばい拝観が主でした。
このつくばい(手と口を清めるための水を張った石鉢) に書かれた文字を、皆さんはもうご存知ですよね⁈ ……『吾唯足知』 われ ただ たるを しる
です。
わたしは、この石鉢をただ愛だけを注ぎ続けてくれた叔母と一緒に拝観したかったわけです。
わたしが佐藤に嫁いだときから、この叔母は義父義母、(叔母にとっての)叔母、叔母の夫、叔母の孫(障害があり誕生し14歳で光となった)を、ただそばで居ながらにして支え続け看とってきた人です。それだけにとどまらず、彼女は親戚のくくりとなるわたしの夫の父母のときも、嫁であるわたしはじめ夫、夫の兄妹をも、ただそばで支え続けてきてくれた人でした。
人は支えようと思っても心を置き続けることはなかなかできないものです。が、自分が満ち足りているということだけを知っているからこそ(吾唯足知) 手を差し伸べられるのでしょうね︎。
広隆寺に行かずとも叔母こそ弥勒菩薩であり、龍安寺に行かずとも叔母こそ吾唯足知 わけです。
日々、満ち足りている自分だということは、自分ではわかり得ませんね。なればこそ目の前に、教えてくれる人がいる……このことを忘れないで過ごして参りましょう、ご一緒に!