いよいよ2025年の締めくくり

街のあちらこちらでは、イルミネーションと人が行き交う賑わいを見せています。

いよいよ2025年の締めくくりとなりました。

皆さんにとって、この一年はいかがでしたか。

わたしは……2025年も、たくさんの分かち合いによってリセットし直す機会がたくさんありました。

コースの学習者問わず、分かち合いのすべては<本当の力(=私)を共に思い出す>こと、ただ一点でした。

本来、わたし達が出会う意味は、これに尽きるのでしょうね?!

…その日、わたしは週二回のお風呂の日であったことを忘れて、母親がいる介護施設に行きました。

案の定、わたしが到着したとき、母は部屋にはいませんでした。このところ認知症状の進んでいる母なので、クローゼットや引き出しの中が雑然としていることにちょっぴり寂しくもなり…それでも”人は生きる”という姿を誤魔化すことなく見せてくれているかのようにも感じられて”これでいいのだ””これぞ完全なのだ”という根拠のない、確信だけに着地していました。

スタッフの方とお風呂から戻ってきた母は、わたしを見つけて、驚きつつ喜んでいました。そんな母に、わたしは思いついたかのように、綿棒と爪切りを取り出し、

耳掃除をしました…そして手の爪を切りました。   母は抵抗することなく、静かに目を閉じて、半ば、わたしにやられるがまま身を差し出してくれていました。そして、最後に、足の爪です。

椅子に腰かけた母を前に、わたしは腰を下ろし、膝まづいて、母の足を片方持ち上げ、わたしのモモにのせ、互いの態勢を整え、爪をまじまじ見たとき、「ああ、こんなにも伸びていたんだ~」と、内心、気づかずごめんね~の思いと共に、声をかけながら、伸びすぎてしまった足の指の爪を1本、1本、丁寧に、そして慎重に、整えたのでした。

この間、互いの無抵抗で無心な状態ゆえに醸し出される”通よい合っている””行き交っている《間合い》とも呼ぶべき空間が、確かに信頼し合っている感触となって、わたしの中を流れてきたのです。思わず、わたしは涙が流れ流れて止まらなくなりました。 こんな風に、人に対して、そして母に対して、膝まついて、無心な心を捧げてきたことがあっただろうか…と。

今年のたくさんの分かち合いが、わたしをこんな感動経験へ運んでくれたのだと思えます。

2025年もありがとうございました。

分かち合い(心と心の同意)がどこぞのどなたかの感動経験への足掛かりとなるのでしょう…

来年も、地道に、心の学びを重ねていきましょうよね。