決着のとき…
間もなく89歳になる母はますます認知症状が進んでいるようです。
兄の近所の施設で生活をしているのですが、わたし達兄妹として厄介だと感じることは、毎日かかってくる電話の回数が多いことなのです。
ここ数か月は、毎日電話があるのですが、その内容は
「一人でぽつんと部屋にいるだけで、誰とも話してない。」
「こんなところに、どうしてわたしを入れたの?」
「わたしを、今後どうしたら良いか、あなた達兄妹で話し合ってちょうだい!」
という類の内容ばかりなのです。
わたしと兄、そして兄嫁、わたしの夫…それぞれが特有の解釈をしつつ、行動であの手この手の工夫をこらし、なだめたり、連れ出したり、誤魔化しながらすり抜けてきたとも言えるのです。笑
どんな工夫も、どんななだめる行為も、それらは何をしたところで変わるはずのないことは明らかなのですが、それら行動の心の動機は、母から、自分たちにとって痛い発言の数々を聴きたくないからにすぎないわけでした。笑 母の発言からは、自分が罪~自分が悪い~自分が残酷なのだ~と聴こえてしまう、これが痛いから、誤魔化すわけです。
しかし、こういうカラクリなのだとわかっている…誤魔化している自分をよーくわかっているこのことが救いなのですが(ホッとする)案外、兄は母の発言をまともに受け入れてしまっています。笑 これすらも、兄の手を引き、妹のわたしは、一緒にここから出ても大丈夫だよね…という申し合わせの道中、つまり心の経験中でもありました。
ところが数日前、施設長から、「誰よりも一番、よく来てくださるご家族の皆さんであることは重々承知なのですが、今一度もう少し落ち着くまで、お母さんの面会を控えてほしい」と言われたのです。 兄は施設と近所なので、母をなだめようと、頼まれる食品を買っては届けることを頻繁にしてくれていました。もちろん、母を気遣う息子の部分も十分あっただろうと思いますが。
母のもう一息を(今何か大事な時なのでしょう)施設で責任をもって関係性を繋ぎたいという説明だったのです。
呆気にとられた兄に、わたしは「今母がいる関係性の中で、母の大事な世界を、わたし達が奪うのはやめましょうよ!」と提案したのです。
…施設長からのストップを聴き、母の本当の声を、それはわたし達に罪をかぶせるかのような残酷の声ではない本当の声を、まずわたしが受け取る経験のスタート、そして我々4人で聴く時がきたのだな…と、”そのタイミングの今なのだ”とわかったのでした。
奇跡のコースを学んでいるわたしから、同じ穴のむじなから出て、”そのタイミングの今”を、なぞるような我々の心の経験のスタートをきったのでした。
こうやって記しながら、わたしはまたここで決意するのでした…☆彡