2024年も猛暑の夏

暑中お見舞い申し上げます。

オリンピック競技が目白押しの毎日、わたしはできる限りテレビごしの応援観戦をしています。そこから受けとるものは大きく、それは感動の連続です。

喜び勇んで涙を流す、悔しくて涙を流す..涙が流れるその心の動機は違うにせよ、その涙は勝った負けたという単純なものの奥深くにうっすら浮かび上がる、これまでの軌跡を一瞬に蘇る瞬間なのではないだろうか★と想像が及びますよね。

何でも、ただソレだけに向かい合った月日は、誰もわかり得ない諸々があって、それを自分とお天道様だけが知っているわけで。(コースの学習者らしからぬ表現で。笑)

しかしその歩みを必ず誰かは見ていて、見ている(コーチはじめサポートチーム)者も選手同様、常に”どこに心を置くか~定めるか~”の連続なのではないか……

この連続の歩みを繰り返した選手はじめチーム一団となって表現するとき、観戦するわたしすら、勝ち負けを越えた奥にこそ在る歩んだ月日を、わたしの身体感覚を越えて遥か遠くの確かだと思える場所まで運んでくれるのかもしれないなぁ〜と。それが”感動︎”=”愛に触れる場所”なのでしょうね。